高齢の親と暮らすということ③

今日も晴天の長崎から縁を紡げるように言葉を並べております😌
先日、車を運転しているときに、脇道から大通りに出る際、左のウインカーを出していました。
すると大通りを走っている車が左のウインカーを出していたので(私がいる方向に)大通りに入ろうとしたところ、左ウインカーを出しているにも関わらず直進、ゆっくり入ろうとしていたので急ブレーキにはなりませんでしたが・・・
あるあるかもしれませんが、当たり前のように直進してきた車からめっちゃ睨まれました。
おいっ!!😠
きっと、こういうのが事故に繋がるんだろうな🤔
昨日は父の命日でした。
9月18日 10時46分
父は蒼空へと旅立ちました。
一年後のその時間、私は母の通院で病院に居ました。
その時間が過ぎた頃「一年経ったけど、やっぱり寂しいね」病院ではありましたが、母と思いをはせました。
今回初めて写真をUPしましたが、父が介護ベッドで見た目線の一年後の蒼空です。
一年前も綺麗な蒼空でした。
そんなこんなで、続きをどうぞ。
無理はさせられない・・・
それ以前に今の母は足すらも覚束ない。
「甘かったな・・・。」
私は高齢の親と一緒に暮らすということを甘くみていたことを実感しました。
以前、母が脳梗塞をした際に、左に麻痺が残っていたので介護認定を取得していたんですが、その頃の母はまだ体力もあり元気で、家で過ごすうちに困らない程度に動けるようになったため認定を返上したんです。
元々あまり他人を家に居れたくないようなところがあって、ケアマネジャーさんの月一の訪問に少し抵抗があったみたいで。
困らない程度には動けていたので父も私も反対はしませんでした。
だから現状、介護認定を取得してない状況でした。
手を繋いで右手には杖、それでゆっくりと歩けていた状態。
杖のみでひとりで歩くのは不安な表情をしており、必ず手を繋ぐ。
この時点で介護認定を再取得しとくべきだったと後悔した。
でも、この状態で私はお任せすることが出来たかな・・・。
さてと、、、仕事どうしよう。
悩みながらも私の心は決まっていた。
自己都合退職。
今の職場は、お時給は高くはないものの人間関係はとても良く、誰かに指示されることなく指示されるまでは朝から集中して入力作業を行える。
指示がないときは出社から退社までひとりで黙々と入力する。
私には向いている職場だった。
心が決まったとき現状報告を派遣会社の担当者へ伝えた。
母が怪我をして歩くのがままならないこと、痛みがひくまでは自宅で無理はせず安静にしなければならないこと、介護認定を取得していなかったこと。
上記のことから仕事に行くのが困難であること。
信頼している営業担当者さん。
若いけどガッツがある、私が知っている営業担当のおふたりは私が信頼している人達。
派遣仲間が新しい派遣会社を探しているときは自信もって推薦できる派遣会社。
その営業担当さんには事前にちょこちょこ状況を伝えていたので、派遣先の会社に現状をお伝えしてみますと言ってくれた。
「状況が変われば同じ職場に復帰の意思はありますか?」
「勿論です!」
暫くして連絡がきた。
「先方は、復職の気持ちがあるなら待ちたい、でもいつまでという期間がわからないのがなぁ、という感じでした。でも待ちたいということを言って頂けたので暫くお母様の様子を見ることにしませんか?」
「お休みできる期間ってどれくらいだと思います?」
「派遣会社的には2週間出勤ができないとなると継続は難しいかなと思っています。」
「わかりました!よろしくお願いします。」
これが9月4日(水)の出来事。
9月9日(月)、状況確認の連絡が派遣会社の営業担当から入った際、私は退職の意思を伝え自己都合による退職の未知を選んだ。
高齢の親と暮らすということ②
もう9月も後半になりましたけど、残暑厳しく暑い日々が続いてますね🫠
でもこの暑さも今週末には落ち着くみたいですよ😮💨(と、お天気おじさんが言ってた)
先週の14日に父の一周忌が無事に終わり、ほっとしたのか翌日少し体調が悪くなって、バタバタやったし、ちょっと疲れてたかなぁと実感したAdomaticです😂
更新がなかなかできなくてすいません💦
今回の更新がこのブログを初めて6回目の更新になるんですけど、みなさん聞いてください!
5人の方が読者になってもらっています🙌
この拙い起承転結なく支離滅裂なうえ、誤字脱字もおそらくあるであろう、私のブログに読者です😭
★も沢山頂き感謝です🙏(もう腹踊りしたくなるくらい嬉しいです?)
そんな日、蒼空を見ながらの更新です😌
では、どうぞ。
月曜、火曜と続けて会社を休んでしまった(基本休むのは好きではない)
でも自分の後悔に繋がる行動はしたくない。
火曜日の朝、私は考えていました。
病院に行くのを納得してくれた母(最初は大丈夫と嫌がった)
朝、起こして母の両脇に腕を入れゆっくりと歩かせたが、やはり左足がなかなか出てこず、引きずる感じだった。
朝からも暑い陽が差す。
その中、このペースで母を坂の下まで連れて行って母は大丈夫だろうか。
救急車を呼ぶ?いや、それは熱もない、ただ歩くのが覚束ないというだけで申し訳なさ過ぎる。
そして、私は苦肉の策として、隣の祖父母の家から車椅子を持ってきた。
ちょっとタイヤが怪しいな、父の仮退院の際に使用しようとタイヤもパンク修理したはずなのに、そう思いながら私は朝食を済ませ部屋で待つ母の着替えの補助をし着替えを済ませ、玄関まで連れて行き車椅子に座らせた。
やはりタイヤがペタンコになった。
んーーー、と思いながらも背に腹は代えられないと思った。
私は母を背負うことが出来ないし我慢してもらうしかない。
「お母さん、ちょっとガタガタするかもしれんけど我慢してね。」
そう言って家の鍵を閉め、駐車場まで向かった。
車椅子の扱いには慣れている。
短大の時の特別講義で1年間、週に1度福祉の講義を取っていた。
理学療法士の講師が教えてくれていた。
その時に学んだことが役に立つ。
やはりゴトゴトと振動をしながら進む車椅子。
でも朝にも関わらずこの炎天下の中だ、車椅子を使わなかったら母の今の状態なら駐車場まで連れて行くのに30分はかかるだろう。
よかった、と思いながら車椅子を押すと5分くらいで駐車場に着いた。
後部座席に母を乗せ、その横に車椅子を入れ込んだ。
ちょっと窮屈そうにしている母を見て、帰りは助手席に乗せようと思った。
入院にならなきゃいいけど・・・。
病院に着き、外来用の車椅子を借り、受付を済ませた。
水分補給しようね、そう母に言って先ずは水分を取らせた。
予約外の総合病院は待ち時間が長い。
その間に、体重測定と血圧。
体重は2キロ減って、血圧は上が100いかなかった。
母が少し辛そうにしていたため、処置室で横になって待たせてもらえるようにお願いした。
母が私の手を握り、一緒に待っていると若い男性の先生と看護師のお二人がカーテンを開けて入ってきた。
少しの問診と打撲した足を診てもらい状況を説明。
先ずは血液検査ということだった。
1時間程待つと検査結果を持って先生と看護師のお二人が戻ってきた。
血液検査的には白血球の数値が少し高い(心配不要)塩分不足(食欲不振とのことだったので許容範囲)結果、心配はないとのこと。
足は仮に骨折していたとしても固定も出来ないので安静にして治るのを待つしかないとのことだった。
ほっとした。
よかった・・・。
それから、私たちは薬を処方してもらい帰路についた。
駐車場から再びペタンコになる車椅子に母を乗せ、気合を入れ少し急な登り坂を進む。
一人ならゆっくり歩いて2分程度、早歩きで1分の坂道。
きつい?
ほっとしている私にそんなことは関係なかった。
よかった、で心の中はいっぱいだった。
そう、この時までは。
帰宅後、ひと段落した私は、ふと思い出す。
「仮に骨折していたとしても固定も出来ないので、安静にしながら治るのを待つことしかできませんしね。」
あっ・・・。
高齢の親と暮らすということ①
マジか・・・
あ、コレ次のタイトルにいいやん♪と思いついた数時間前の晩酌晩御飯が済みの私。
あれ・・・、あれ・・・、なんだっけ、このタイトルに何かスパイスが・・・現在の私。
そう、食後ほろ酔い気分でるったるったるーと自部屋に戻り、何故かほろ酔い爆走。
ベッドに横になり、爆睡、思いついていたタイトルと忘れる←今ココ
忘れてしまった。
わぁぁぁ(ノ`□´)ノ:・'∵:.┻━┻
何だっけ?🥺
でも思い出せんとやけん、仕方ない。
忘れたものは忘れたもん( ・∇・)
もしかしたら書いてたら思い出すかもしれんしね😇
さてと、タイムラグがあるんですよね。
前回書いたことが、先週の月曜日のことだったんで、追い上げなくては。
でもね、やっぱりその時に感じたこととかをちゃんと言葉にしたいので、やっぱりタイムラグがあるかも。
ご了承くださいませ。
月曜日、休みを取った私。
ベッドに横になっていつものようにテレビを見ている母を眺めて考えていた。
いつもと変わらない風景。
違うのはベッドから上手に座ることができないときがある、ひとりでベッドに座れたとしても立ち上がれない、ひとりで歩こうとしても左足が原因で足元が覚束ない。
これって日中をひとりで過ごすには致命的なこと。
さて、どうしよっかね。
だって私、フルタイムて仕事してますからね、悩むよね。
あの左足の小指、骨折してないとしても、治るまで時間かかりそうだしな。
とりあえず、ただの夏バテと思ってたけど食欲も落ちてるのも気になる。
もしかしたら身体的に何か他に原因があるのかもしれん。
病院に連れて行ったがいいよな、、、
そう思い至るのは過去のことがある。
私の父は肺がんだった。
お小遣い稼ぎに始めた定年後のアルバイト。
1年経たないくらい過ぎたときだった。
休みだった私の携帯が鳴った。
父がアルバイト先で倒れて意識がなかったため救急車を呼んだというのだ。
搬送先が決まったら再度救急隊員から連絡がくるという。
私は母にそのことを伝えた。
母は動揺している、勿論私も。
救急隊員からの連絡が来て搬送先を聞いた。
状況がわかったら連絡するからと伝え、とりあえず車の鍵と財布を片手に走った。
父が運ばれたのは車で20分くらい走らせたところにある大きな総合病院。
処置室に運ばれ検査をしている父。
母に連絡を入れ、ただ待つしかできない長い長い時間。
検査が終わり、ようやく父の顔が見れた。
目を覚ましている父の顔を見てほっとする。
「ごめんなぁ。今日は仕事ばしよって何か体調のよくなかったとさな、早めに帰らせてもらおうって思いよったら冷や汗の出てきてさ。」
と、その時を振り返る父。
話していたら検査の説明をすると別室に呼ばれた。
とりあえずわかったことは、CTで父のリンパに異常がある、白血球の数値が異常ということ。
父はそのまま検査入院になり、検査結果は肺がんだった。
父が看護師に説明を受けているときに担当医師にそっと耳打ちした。
「ステージ何ですか?」
「4」
癌がわかった父は末期だった。
去年の5月4日に発覚した末期の肺がん。
亡くなったのは、9月18日、三連休の最終日だった。
亡くなる前、もう自力で立ち上がることも歩くことも出来なくなっていた父。
「三連休になるし、帰る?」
家に帰りたいと言っていた父。
私は父を連れて帰りたかった。
「もう歩けんけんトイレにも自分で行けんし〇〇に迷惑かける。」
「何ば言いよると、大丈夫やけん私に任せんね。何やったら家におってよかとよ。仕事辞めてよかとやっけん。」
そう言った私。
前日に担当医から連絡があった。
数日から数週間、明日何があってもおかしくない、と。
私は看取り介護を心に決めていた。
病気に気づけなかった私の最後の親孝行。
父に孫を抱かせてあげれなかった後悔。
せめて精一杯、親孝行をさせてほしかった。
三連休の前の金曜日、朝から行っていた病院は手続きや医療器具の取り扱いなどの説明、父の身のまわりの対応の仕方など覚えることが沢山あった。
また、訪問看護師と現状の担当医との面談、父が三連休後に病院に戻るといった際に再入院となった場合は、長崎市内の救急病院の搬送先の3本の指には入る病院のため、現状の病棟に入れるかわからない、そのために最上階にある緩和ケア病棟の方の医師や看護師との面談、その間レンタルの介護ベッドのマットを変更するために一旦帰宅。
めまぐるしく時間は過ぎ、帰宅するのは夕方になった。
訪問医の先生の依頼先を探し、医療器具のレンタル等、急遽だったにもかかわらず対応してくれた病院側には感謝しかない。
最後の親孝行と思ってた私。
気遣い屋だった父は、三連休最後の日、午前中に蒼空へと旅立った。
この辺のことは改めて詳しく書かせてもらいますね。
私はまた同じ過ちを繰り返したくなかった。
発見が遅かったと後悔したくなかった。
ただの打撲じゃなかったら・・・、そんなことが頭をよぎる。
翌朝、母の状態は変わらなかった。
私は母を病院に連れて行くため、会社に現状を説明し再び休みをもらった。
追伸
タイトルは思い出せませんでした笑
なぬ?!と腑に落ちた日③
最近お家に居る時はブラトップで過ごしているAdomaticです☺️
こんばんは!
いやぁ、よきです、よきですわぁ🫶
ブラトップといえば、UNIQLOでしょってことでね(どういうこと?!)今年の夏に新調したんですよ。
でもね、何か汗かいた後の乾き具合がね、いまいちでさ😮💨
まぁ私が綿タイプを選んだからなのかな。
買いなおそうと思ったんだけど、最近のUNIQLOってさ、昔と違ってまぁまぁ値が張るやんね。
だから試しにしまむらで買ってみたのよ。
千円以下。
UNIQLOの半額以下やん🤣
これが意外と良くてさ、もう一着買ったよね笑
少しパットが厚いかな、とは思ったんだけどさ【しっかりタイプ】のね、締め具合が好みだったんだ♪
という訳で、最近愛用してます。
そんなこんなで(どんなこんなだよ?)
本題です。
今まで寝てる時にぱんつにう💩こをしていることがなかった母。
(母が大人用おむつをするようになり、母がおむつというのを気にするかもと思い、我が家ではおむつをぱんつというようになりました)
まぁ、便秘やったからかぁと思うことにして母と過ごした一日。
その日、母はベッドから滑ること数回。
1回は滑るのを見てました(どうやってベッドから滑り落ちているのか、何故痛くないのか)
見ていてわかったこと。
本当にコロコロしながらテレビを見て、一度ベッドの端に座り、いつものようにリビングテーブルの椅子に座ろうとベッドの端から立ち上がろうとして、立ち上がれずベッドの端からベッドの足元にあるプラの収納棚に背中を這わせるように綺麗に滑り落ちていたんです。
(痛くないのにも納得)
そのとき感じた違和感。
母をまた起こして、一度横になりたいと言うのでベッドに寝かせます。
そして私は母の足を見ました👀
コレだっ!!
母の麻痺がある左足、小指とその周りが黒紫になっている🥺
そう、打撲したように。
これで、踏ん張ると痛くて力を入れられずってことか。
だから歩くのも覚束ず、左足が出てこなかったんだな。
私は、そこで腑に落ちたんです。
「ねぇ、お母さん。左足の小指痛かやろ?」
「んー、少しね。」
「これ、何処で打ったと?」
「この前、脱衣所で倒れた時さぁ。」
あの時か、、、
ゴミ出しの前日だったから木曜日かな。
私が夜中起きたときに、廊下に母が倒れてて、私は慌てて母に飛びついた。
「お母さんっ!!」
倒れて、一人で起き上がれず、そのまま眠ってしまったらしい。
その時は、頭を軽く打ったらしいけど大丈夫と、起こして両手をとってベッドまで歩かせ、また寝かせた。
翌日の金曜日は特にそこまで違和感なく。
土曜日に、一緒に美容室からの一連の出来事。
それで、足の打撲に気づいた日曜日。
でも、これって打撲?
骨折とかじゃないよね、一応両手取って歩かせたら覚束なくともゆっくり歩けるし。
でも、困った。
私は明日仕事だ。
これ、母をひとりにして大丈夫か?
いや、無理やろ。
倒れて頭打つのも怖いし、トイレで滑って変な体勢で何時間もとか怖すぎやろ。
それこそエコノミークラス症候群とかあり得ない話ではない。
何より歩くのは私の両手ありき、ベッドから起き上がるのもひとりでだとままならない。
勿論、私は翌日の月曜日、会社に連絡をし母の体調がすぐれないということでお休みを取った。
なぬ?!と腑に落ちた日②
どうも、こんにちは、Adomaticです😌
今日も秋晴れの長崎より言葉を紡がせていただいております(秋晴れというより体感は夏やんね)
只今の部屋着は三代目JSoulBrothersの『BLUE IMPACT』のライブTシャツ。
以前行ったライブTシャツ、すっかり部屋着となってしまいました笑
今、ついているTVはNHKで枝野さんが熱弁をしています。
(母、NHK好き)
NHKといえば、すごくいいドラマが始まりましたね。
今夜10時『Shrink-精神科医ヨワイ-』
中村倫也さんの優しく囁くいい声が存分に生かされてます!(力説)
やっぱ、NHK配役いいよなぁと思いつつ観せてもらいました。
勿論、その魅力的な声を生かすもころすも役者次第ということで、中村倫也さんの演技力があるからこそ、あの役柄が生きて視聴者である私たちが魅せられるわけですが🤩
中村倫也さんを初めて観たのは窪田くんの舞台DVDだったなぁ🤔
私の大好きな役者さん、窪田正孝さん☺️
少し力説してしまいましたが、そんな私もここ数年パニック障害で心療内科のお世話になってます。
このことはそのうち話させてもらいますね!
さて、本題です。
便秘が解消した母でしたが、変化はその日の夜中に気づきました。
夜中ふと目覚めたので1階のリビングに下りました。
母は1階ならリビングがいいといって、2階で寝れなくなってからリビングに寝ています。
(リビングにシングルベッド置いてる笑)
1階に下りてリビングを覗いたら母がベッドに居ない?!
「え?!」
「〇〇」と私を呼ぶ、床で寝そべっている母。
「お母さん?!どうしたと?」
「ベッドから落ちたとさ」
「頭打ってない?お尻は、背中は、痛くない?」
「うん、大丈夫。」
それから私は母を起こし、母の背後に回って両脇下に腕を入れ1度立たせてベッドに寝かせた。
とりあえず痛いところはないと言うし、大丈夫かな、と私はまた2階に上がった。
でも、やっぱり頭にあったのか、5時にまた起きたのでまたリビングを覗こうとしたところ、また母が私を呼んだ。
また、滑り落ちたと言った。
先程と同じようにベッドの足元に置いてあるプラの収納タンスは滑り落ちた母に押されて動いている。
母自身が「どうしたとやろうか・・・?」と戸惑っていた。
それから再びベッドに母を寝かせた私は2階戻ったが起きて考えていました。
“こんな続くの初めてだなぁ、どうしたんだろう・・・?”
ちょっとGoogleさんに聞いてみたりしているうちに、起きる時間になったのでリビングへ。
ベッドで寝ている母を見てほっとする。
「お母さん、起きるよぉー、おはよう。」
いつものように母を起こすのだけれど、「起ききれん」と。
やっぱり変だと思いながら寝ている母に腕を私の首に回させて母の背中に自分の腕を入れて起こしてベッドから立たせる。
トイレに行かせるためだ。
母の両手をとり、ゆっくりとトイレに行こうとしたら、足元が覚束ない。
ゆっくり、ゆっくり「お母さん左足出てないよ」そんな声掛けをしながらトイレへ。
トイレは、母が脳梗塞をしたときに取り付けた手摺りがあるから、いつもトイレまで連れていって、あとはひとりで大丈夫なんだ、いつもは。
それが、トイレのドアを閉めたらゴンと鈍い音が・・・。
トイレのドアを開けると、また滑ったと母が狭いトイレであり得ない格好になっている。
とりあえず、トイレに座らせて、ふとパンツを見た。
あっ。
寝ているときにう💩こをしているのは初めてだった。
一体、母に何が起きているんだ?!
なぬ?!と腑に落ちた日①
どもども、先週はてなブログデビューしたAdomaticです☺️
最近ドタバタでデビューしたにもかかわらず、ちょっとご無沙汰してました。
普通デビューしたてって、毎日投稿するもんなのにね笑
それにはちょっとした出来事があったのです。
遡りますと、先週の土曜日の8月31日。
母と仲良く美容室へ。
その美容室は高校生の頃から通っている美容室。
母はその美容室の開店以来からのお客様。
私は高校に入ってからその美容室にお世話になっている。
(私も母も他店に浮気せず一筋😤)
ここ10年位かな?母と二人で一緒に通いだした。
20年位前に脳梗塞で左側に少し麻痺が残った母。
10年位前にベランダで洗濯物を干していた時に尻もちついて、背骨を圧迫骨折してたらしいんだけど、自宅療養中に悪化して入院。
もしかしたら麻痺もあるし手術が成功しても歩けなくなるかもしてない、、、そう言われた。
でも理学療法士の先生と母の頑張りが功を奏して、また杖で歩けるようになった。(手術をしてくれた先生にも感謝🥺)
家の中はひとりで不自由なく動けるように🙌
でも外出はひとりでは不安らしく、私や父と手をつないで右手に杖を。
その頃から私と母は一緒に美容室へ行くようになった。
先週の土曜日、美容室を予約していたので早めに家を出てゆっくり歩きながら駐車場へ。
私の家は、長崎あるあるの車が通れない高台にある。
借りている駐車場は少し急な坂を下りた所にある。
ゆっくり歩いているが、私は何となく違和感を覚えた。
「体調悪かと?」
「いや、大丈夫。」
少しいつもより時間はかかったけど、駐車場について車に乗り込む。
美容室付近で駐車場を探し、お昼と食べに予約しているお店へ。
(靴を脱いだりするのは母の負担になるから入り口付近のテーブル席を予約する)
駐車場から車を降りて歩いていたんだけど、やっぱり様子がおかしい。
んー、何かこの状態って、、、
「ねぇ、お母さん、最近う💩こした?
「どうだったかな。」
あ、これ便秘で調子悪いんだとピンときた。
何とかお店までついたけど、予約席に座った母は、突っ伏している。
せっかく大好きな天ぷら定食も天ぷら半分で限界。
私は、五島うどんに車海老トッピングを食べて、母の残りを頑張って食べた。
(ご飯粒は残したらいけんという祖母の教え)
「お母さん、具合悪いなら美容室キャンセルしてよかよ?」
「いや、大丈夫。」
と言いながらも、冷や汗が・・・
でも言い出したらきかんしなぁ😓
美容室迄歩けるかなぁ🤔
結局食後にタクシーを呼んでワンメーターですいませんと走ってもらった。
タクシーの後部座席で少し横になっていたら体調がよくなってきたのか、少し元気になった。
でも美容室では、いつもと違って落ち着かない。
(いつもは居眠りしてるのに)
それが、何故かシャンプーが終わったら、生まれ変わったかのように通常に戻った。
(なんなんだ?😳)
それからご機嫌に美容室を出た。
私は母を車に乗せ、ちょっと奮発して美味しい珈琲屋さんで500円のアイスコーヒーをテイクアウト。
「これ飲んで待っててね!」
そういって急いで今夜のお惣菜と母の好きなパンを買いに💨
帰路について、車を駐車場に、母を降ろしてまた家までの徒歩。
少しきつそうにしていたけど、何とか辿り着いた😮💨
着いて手洗いをした母が早々にトイレに行った。
歩いたのが良かったのか、便秘改善かなぁと思っていた。
少しして、「お母さん大丈夫?」と、トイレを覗いた👀
でね、見たのさ、オムツを。
そしたらね、ポロンってう💩こが生まれてるやん🤣
思ったよね、多分現場はシャンプー台だろう。
う💩こが出て、少し楽になったんだろうね。
それからウォシュレットの後におしりふきでお尻を綺麗にふいてね。
(流せるおしりふき、これ便利だよねー♪)
うん、うん、腑に落ちたよね、あの生まれ変わりに笑
でも洋服が汚れていたわけじゃないからお店にも迷惑もかけてないし、母は少し楽になってご機嫌になった感じだし一安心☺️
でもね、実はこれは序章に過ぎなかったんだよ😂
アラフィフのリアルとは・・・
祝・初投稿👏
簡単に出来てびっくりしました笑
2024年9月1日に書いてみようって思ってました。
まずは、自己紹介。
居住地は長崎、実家住み、去年の9月に父が他界して母と二人暮らし。
派遣で事務をしている、バツなし、子なし、の47歳。
立派なアラフィフです。
何でブログを書こうかなって思ったかというと、元々言葉を紡ぐのは好きで、昔お芝居をしていたのもあって、好きな役者さんとかのドラマや映画を観て私目線で書いていたブログがあったとけど、それこそ、ガッツリハマって書いてた。
平日は仕事に追われ、土日は何度もドラマを観返して表情や台詞を叩き込んだあとに私の中で紡ぐ言葉を生んで、投稿していました。
それだけ時間をかければ、かけるほど評判はよくなって、アクセス数も上がっていった。
けれど、私も疲弊していって、いろいろなことが重なったこともあって書かなくなっていった。
その時、この人は必ずもっと上にいくと思っていた(書いていた)役者さんは今では誰でも知ってるような役者さんになった。
まぁ、そんなこんなで、言葉を紡ぐのは好きとよね。
去年いろんな転機があった。
82歳になった母は、最近本当に年をとったなぁと感じる。
いろいろ手を貸さなくてはいけなくなった。
忘れることも多くなって、何度も同じことを言ったり、聞いてきたりと、そんなことあるあるやろうけどね。
でもさ、私幸せと思うとよ。
だって、そんな母を見てさ、可愛いって思うとよ。
最近はもしかしてそれって母性なのかな?と思ったりして。
保育士の資格を持っていても子どもは好きだけど、その仕事にはつかず事務をしている。
子どもは好きだけど、好きだけではね、無理だった。
人間の基盤を作る時間に、関わる子ども達の命ともいえる時間を背負うことが怖くなった。
保育士だった私は、その重圧に負けた。
ドクターストップ、体重は2か月もしないで10キロ以上落ちた。
そんな私が、母を可愛いと思うのが母性なのかもと思うのは、人間って年を取ると退行するっていうでしょ?
親が子どもってわけじゃないけど(勿論尊敬してるわけだし)
だから、根拠はないけど、そうなんかなぁってさ、何となく思うわけですよ。
でもさ、思わん?
何気ない母の言動を可愛いって思えるって、私幸せやんね^^
そんなアラフィフな私の他愛もない戯言ブログ、本日スタートです。