アラフィフのリアル

〜アラフィフの戯言、時々介護〜

高齢の親と暮らすということ①

マジか・・・

あ、コレ次のタイトルにいいやん♪と思いついた数時間前の晩酌晩御飯が済みの私。

あれ・・・、あれ・・・、なんだっけ、このタイトルに何かスパイスが・・・現在の私。

そう、食後ほろ酔い気分でるったるったるーと自部屋に戻り、何故かほろ酔い爆走。

ベッドに横になり、爆睡、思いついていたタイトルと忘れる←今ココ

忘れてしまった。

わぁぁぁ(ノ`□´)ノ:・'∵:.┻━┻

何だっけ?🥺

 

でも思い出せんとやけん、仕方ない。

忘れたものは忘れたもん( ・∇・)

もしかしたら書いてたら思い出すかもしれんしね😇

 

さてと、タイムラグがあるんですよね。

前回書いたことが、先週の月曜日のことだったんで、追い上げなくては。

でもね、やっぱりその時に感じたこととかをちゃんと言葉にしたいので、やっぱりタイムラグがあるかも。

ご了承くださいませ。

 

月曜日、休みを取った私。

ベッドに横になっていつものようにテレビを見ている母を眺めて考えていた。

いつもと変わらない風景。

違うのはベッドから上手に座ることができないときがある、ひとりでベッドに座れたとしても立ち上がれない、ひとりで歩こうとしても左足が原因で足元が覚束ない。

これって日中をひとりで過ごすには致命的なこと。

さて、どうしよっかね。

だって私、フルタイムて仕事してますからね、悩むよね。

あの左足の小指、骨折してないとしても、治るまで時間かかりそうだしな。

とりあえず、ただの夏バテと思ってたけど食欲も落ちてるのも気になる。

もしかしたら身体的に何か他に原因があるのかもしれん。

病院に連れて行ったがいいよな、、、

 

そう思い至るのは過去のことがある。

私の父は肺がんだった。

お小遣い稼ぎに始めた定年後のアルバイト。

1年経たないくらい過ぎたときだった。

休みだった私の携帯が鳴った。

父がアルバイト先で倒れて意識がなかったため救急車を呼んだというのだ。

搬送先が決まったら再度救急隊員から連絡がくるという。

私は母にそのことを伝えた。

母は動揺している、勿論私も。

救急隊員からの連絡が来て搬送先を聞いた。

状況がわかったら連絡するからと伝え、とりあえず車の鍵と財布を片手に走った。

父が運ばれたのは車で20分くらい走らせたところにある大きな総合病院。

処置室に運ばれ検査をしている父。

母に連絡を入れ、ただ待つしかできない長い長い時間。

検査が終わり、ようやく父の顔が見れた。

目を覚ましている父の顔を見てほっとする。

「ごめんなぁ。今日は仕事ばしよって何か体調のよくなかったとさな、早めに帰らせてもらおうって思いよったら冷や汗の出てきてさ。」

と、その時を振り返る父。

話していたら検査の説明をすると別室に呼ばれた。

とりあえずわかったことは、CTで父のリンパに異常がある、白血球の数値が異常ということ。

父はそのまま検査入院になり、検査結果は肺がんだった。

父が看護師に説明を受けているときに担当医師にそっと耳打ちした。

「ステージ何ですか?」

「4」

癌がわかった父は末期だった。

去年の5月4日に発覚した末期の肺がん。

亡くなったのは、9月18日、三連休の最終日だった。

亡くなる前、もう自力で立ち上がることも歩くことも出来なくなっていた父。

「三連休になるし、帰る?」

家に帰りたいと言っていた父。

私は父を連れて帰りたかった。

「もう歩けんけんトイレにも自分で行けんし〇〇に迷惑かける。」

「何ば言いよると、大丈夫やけん私に任せんね。何やったら家におってよかとよ。仕事辞めてよかとやっけん。」

そう言った私。

前日に担当医から連絡があった。

数日から数週間、明日何があってもおかしくない、と。

 

私は看取り介護を心に決めていた。

病気に気づけなかった私の最後の親孝行。

父に孫を抱かせてあげれなかった後悔。

せめて精一杯、親孝行をさせてほしかった。

三連休の前の金曜日、朝から行っていた病院は手続きや医療器具の取り扱いなどの説明、父の身のまわりの対応の仕方など覚えることが沢山あった。

また、訪問看護師と現状の担当医との面談、父が三連休後に病院に戻るといった際に再入院となった場合は、長崎市内の救急病院の搬送先の3本の指には入る病院のため、現状の病棟に入れるかわからない、そのために最上階にある緩和ケア病棟の方の医師や看護師との面談、その間レンタルの介護ベッドのマットを変更するために一旦帰宅。

めまぐるしく時間は過ぎ、帰宅するのは夕方になった。

 

訪問医の先生の依頼先を探し、医療器具のレンタル等、急遽だったにもかかわらず対応してくれた病院側には感謝しかない。

 

最後の親孝行と思ってた私。

気遣い屋だった父は、三連休最後の日、午前中に蒼空へと旅立った。

 

この辺のことは改めて詳しく書かせてもらいますね。

 

私はまた同じ過ちを繰り返したくなかった。

発見が遅かったと後悔したくなかった。

ただの打撲じゃなかったら・・・、そんなことが頭をよぎる。

翌朝、母の状態は変わらなかった。

私は母を病院に連れて行くため、会社に現状を説明し再び休みをもらった。

 

追伸

タイトルは思い出せませんでした笑